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寺子屋通信15号を発行しました

2021年度が始まりました。この1年間コロナ禍という未知の事態に振り回されてきましたが、まだまだ収束の予兆すらみえてきません。が、なにもしないわけにもいかず、けれど行動を起こしたところで、、、というネガティヴなスパイラル。さてどうしよう、どうしたものか、、、というのが今の状況でしょう。なぜ台湾やニュージーランドのようにいかないのか、、、政治がまともに機能していないのは火を見るより明らかなのに、その政治が変わる雰囲気も感じられない。いったいこの国はどこへ向かおうとしているのでしょうか。

それはさておき、寺子屋通信15号を発行しました。今回は1年半ぶりにリアル印刷もします。

スタジオ当初から続いているボイトレウクレレアイリッシュのほか、ヨガベリーダンス手芸など、コロナにもめげず、細々と、ほんとうにほそぼそと継続してきました。一時はどの講座も廃止か?くらいに追い込まれましたし、これからもどうなるか分かりません。ただただ、講師陣と参加者の皆さんの温情だけでここまで来れたこと(=深謝しかありません)、そしてこれからもたぶん何とかなる!そんなつもりでオープンしていきます。

さて、今回の目玉は新規開講になるシニア・アロハフラダンスです(寺子屋通信の中央2段目)。ウクレレ倶楽部に見学に来られた方が、じつはなんとフラの先生だった、という経緯からクラスが始まることになりました。講師はナプアオカラニ 田熊敬子さん。学園坂スタジオの講師としては最年長かもしれません。まださほどお付き合いが長くないのですが、2011年ハワイ大学に留学されていて、以降ハワイ名を戴いているというプロフィールから察するに、どう考えてもかなり猛烈苛烈な人生だったのではないかと(?)。どんなクラスになるのでしょうか。今から楽しみです。

フラの史実を調べてみると、実に興味深いことといったら。ウィキペディアなどそのままですが、いわくフラは総合芸術だ、とか、元来は宗教儀式だった、とも。音楽と切り離せない、というフラの在り方は、ほんとうに真面目に考えさせられます。というのは、翻って今の音楽シーンを考えれば、音楽とダンスは、むしろ切り離されてばかりいるのですから。今も昔も音楽学校では音楽しか教えてくれない、芸術大学におけるダンスの立ち位置などおまけ程度でしかない、、、まるっきり明治以降の教育制度の悪弊です。みないったんリセットして、フラダンスのような(もちろんアイリッシュダンスも、ベリーダンスも!)音楽と一体化したダンスに取り組んだ方が良いのでは?とさえ思ってしまいます。

さらに関心を引くのは、ハワイが無文字社会だったという史実です。なぜ文字がなくても社会が成り立っていたのか。これはやや壮大な問いですが、ちょっとだけ考えたいと思います。むかし『無文字社会の歴史』という、いっけん奇妙な書物がありました。あれっ、歴史って何だっけ、と考えると、一般的には、記録に残されたもの、すなわち文字(いまや「データ」ということになるでしょうけれど)ということになります。だから無文字社会には歴史なんてないよ、となるのが現代文明の考え方。けれど著者の川田順造さんは、口頭伝承も立派な歴史だよ、のようなことを主張されました(ちょっと言葉が足りませんが、、)。『無文字社会の歴史』のフィールドは主にアフリカでしたが、ハワイでもインディアンでも多かれ少なかれ同じことが言えるのかもしれません。

しばしばわたしたちは「有史以前」とか「先史時代」というような言い方をしますが、これは無文字社会には通用しない語です。そもそも歴史を記そうとしなかった社会が現存する以上、先史/有史という世界史区分は恣意的だということになります。もっといえばそれは文字文明の論理に過ぎないのですね。文字が発生した地域には必ず権力が生まれ、文明が、国家が成立してきましたから、おそらくあらゆる時代の、あらゆる地域の権力者にとって、文字以前の、文字でないもの、文字には表せないものなど、とかく邪魔だったり、都合の悪いことだったりするのでしょう。それをひとまとめに「先史」とくくるのは、実はずいぶん暴力的なことなのです。

ダンスに関して言えば、権力によって強制的に禁止されてきた事例がいくつも挙げられます。フラ、アイリッシュ、ベリーいずれも過去にそんな憂き目に合っています。武術が禁じられた代わりに成立したカポイェラ、非常にラディカルなヨガなど、ダンスにまつわる面白い史実は枚挙にいとまがありません。ダンスとは文字や記号ではない、ある別種の表象であり、記録しえない、歴史になり得ない身体の運動そのものです。ダンスはそもそも平面に属さない事象なので、youtubeで鑑賞してみても、どうしたって「へー」「ふーん」としかならない。ダンスそのものがいわば先史、プレヒストリーに属する事象/身体だとも言える。そしてそれはいとも簡単に抵抗の論理、ときにアナキズムにさえ接続するので、為政者にとってはたててほしくないノイズということになるのでしょうか。

音楽も実はそうだったはずです。だったはずなのに、ヨーロッパでは教会にひとまず回収され、楽譜(=記録・歴史!)のような制度が確立し、モーツァルトのように王宮に雇われるミュージシャンさえ出現しました。モーツァルトがなかなかのグルーヴメイカーであることもまた確かなのですが、権力によって禁じられるよりむしろ推奨される芸能/芸術がまた一方にあり、そしてその影響をもろに被っているのがいまの日本という国、という言い方もできるはずです。そしてダンスとは一切無縁な音楽学校、そのように倒錯した教育制度が今も引きずられている現況。存在論として、音楽やダンスは先史的な次元に属するのに、いま、どうやら、そうなっていない。常に歴史に引きずられていて、制度に絡めとられてしまっている。

かつてレヴィ=ストロースは文字という「災厄」を記しました。ブラジルのインディアン社会に調査に行きノートに文字を書きつけていたら、そばにいたインディアンたちが非常に気味悪がった。あいつ何やってんだ? なんか白くてデカイ葉っぱに落書きしてるぞ。ところがインディアンの中に、その真似をする者が現れた。みると、文字でも絵でもないような奇妙な何かが記されていた、、、という面白いエピソードがあったかと思います。インディアン社会は近代国家を建設しなかった。できなかったのではなく、しようとしなかった。文字を使って歴史を構築しようという発想をずっとずっと取らなかったのですね。

たぶん、首長(指導者、リーダー)のような立場の人物が存在しないか、存在しても大した権力を持たずにいる、という在り方なのです。ハワイが伝統的にそうであったかどうかはもうひとつ勉強不足なので、今後の課題にしたいと思いますが、もしもどなたかこの分野にお詳しい方がおられましたらご教示頂ければ幸いです。そういえば『南の島のハメハメハ大王』よく知られた日本の童謡ですが、この曲では大王も平民もみなハメハメハさんというお名前だそうで、実は人類学的に(アナキズム的に?)非常に味わい深い曲です。

いやはや、スタジオの宣伝なのかダンス文化論(?)なのか分からなくなってきたので、このへんでやめておきます。寺子屋通信に記載されている講座はほぼすべてオンラインでの受講が可能になっています。いましばらく、今年度もリアルはなかなか難しいかもしれませんね。スタジオはアルコールをガンガン撒き、空気清浄機を24時間回しています。どこまで予防できているか確証はありませんが、少人数制でほそぼそと開講しています。もちろんレンタルも個人練習を中心に、お気軽にご利用ください。

また、思想ゼミ詩のワークショップ古代ギリシャ語など人文系は全てオンラインで開講しています。各種個人レッスンボーカルクラシックピアノフルート、サックス、ギター、ドラム、作曲など〜は常時開講していますので、お気軽にお問い合わせください。今年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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