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トークイベント終了しました

学園坂スタジオ・トークセッションvol.3「児童養護施設の課題と行方」終了しました。ご来場の皆さまありがとうございました。本日のトークは、いまの日本の社会を考える上で実に示唆に富んだ内容でもあり、以下、簡単に概要を記すこととします。

テレ朝の報道ステーションやETVのハートネットTVの取材番組を約40分ほど視聴した後、二葉むさしが丘学園の鈴木章浩さんに、児童養護施設とはどんな所かをごく簡明にお話し頂きました。いわゆる「施設」は昔は孤児院という名称だったが、今現在は、親のいない子どもがほとんどいないので、名称が「養護施設」に変更になり、比較的最近「児童養護施設」と呼ばれるようになったそうです。

このときの「養護」という言葉は誤解を生じることが多く、例えば学校の養護教諭とは保健室の先生を指し、養護学級といえば障がいの特性のある子どもが支援を受ける学級を指します。が、「児童養護施設」は保健室やいわゆる特別支援学級とは基本的に無関係であるのに、名称が同じなので、非常に分かりにくく、理解を得られにくい。そのため、多くの人に誤解されてしまうというのです。

マイノリティゆえの無理解なのか、制度的な問題なのか。児童養護施設や里親制度における養護を「社会的養護」と呼び、それはすなわち社会に養育の責任があることを意味する、といいます。しかしこのときの「社会」とは一体誰のことなのか。税金の出所である国なのか、あるいは自治体なのか。それとも現場の職員や里親なのか。実に曖昧で、一種の無責任ささえ感じてしまいます。

施設の職員として働き始めそろそろ30年ほどになる鈴木さんによれば、就職した当初から現在まで時代がめまぐるしく変わってきた、といいます。親から子どもへの虐待がこの20年で数十倍に膨れ上がっている状況はほぼ格差社会への移行と重なり、いま現在、施設はどこも満杯で、入所待ちで行列ができているとのこと。古館キャスターの言を引用すれば「少子化の時代に何とも皮肉」な状況がリアルタイムで続いています。

さて、トークイベントのテーマは「自立とはなにか」でした。施設は成人したら卒園(退所)しなければなりません。つまり「自立」しなければならない。けれども、二十歳そこそこで一人暮らしをしてやっていける子はごく少数で、大半が困窮してしまう。「自立支援コーディネーター」として働く鈴木さんは、そこでジレンマを感じるといいます。成人したら自立しなければいけない、というのが社会の要請です。即ちもはや税金は投入できません、という意味です。成人したら本当に「自立」しなければいけないのか。このとき「自立」とは何なのか。

答えは簡単ではありませんが、少なくともこれを自己責任論とセットにするのは間違っている、といいます。この数十年、日本社会は新自由主義へ突っ走ってきたことは紛れもない事実です。誰もがどこまでも自由に儲けていい社会。どんな犠牲を払っても、資本が無限に蓄積されることが肯定され、一方で貧困層も同時に再生産されるというシステム。つまり資本の増大も貧困も自己責任だとされるわけです。

そのような、ぞっとするような冷たい社会で、「自立」もまた実に冷たい響きがする言葉でもあります。本来、他者なくして人は生きていけない存在であるはずですが、一方で依存するな、甘えるな、という制度側の要求がある。養育者の不在ゆえ、稼げなければ死ぬしかない、そんな子どもたちにどう対応し、どのように支援するのかが課題なのですが、その解決策は非常に困難です。一義的な「幸せ」などないように、その支援の仕方に正解がありようもなく、それでもただただ「自立」しなければならないのだとしたら、人は誰でも、施設出身かどうかにかかわらず、途方に暮れてしまうことでしょう。このことは今一度、長く考えてみるべき問題だろうと思われます。

本日はその他、ご参加された方からの質問・ご意見などが寄せられ、また多岐にわたるトークが行われたので、以上はごくかいつまんでの報告となります。今後も引き続き、様々な問題を取り上げるトークセッションを継続していきますので、是非ご参加ください。

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11/5のトークイベント

学園坂トークセッションvol.3 児童養護施設の課題と行方~自立支援とは何か~ 11/5(日)13時半~ 入場無料(要予約) トーク:鈴木章浩(二葉むさしが丘学園) 聞き手:港大尋 DV(家庭内暴力)などの理由から、家族と一緒に暮らすことが困難な立場にある子どもたちが少なくありません。 そのような子どもたちがどのような課題を抱えており、周囲の大人たちがどう関わっていくのか。 彼らが成人し、不安定な

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