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詩のワークショップ

12/3は詩のワークショップでした。毎月ひとりの詩人・作家らのテクストが取り上げられますが、今月はヨシフ・ブロッキーのノーベル賞受賞講演でした。講師の藤原安紀子さんが、ゆっくりと音読していきます。受講者の皆さん、静かに聞き入ります。印象的な箇所を下に抜き出しておきます。

〜〜(前略)〜〜 言語と、そしておそらく文学は、いかなる社会組織の形態よりも古く、不可避で、また永続的なものではないでしょうか。文学がしばしば国家に対して表現する憤慨や、皮肉、あるいは無関心といったことは、本質的には、一時的で制限されたものに対して、恒久的なものーーというか、無限なものーーが示す反応なのです。少なくとも、国家が厚かましくも文学のことに口を出し続ける限り、文学も国家のことに口を出す権利を持っています。政治制度、社会体制の形態は、そもそもあらゆる制度がそうであるように、その定義から言って、過去時制の形態ですが、この過去時制はみずからを現在に(そして、しばしば未来にも)押しつけようと試みます。そして、言語を自分の職業とする人間は、このことを誰よりもよく肝に銘じているはずです。書き手にとって本当の危険は、国家の側から迫害される可能性というよりは(それはしばしば現実ですが)むしろ、国家の輪郭に魅了されてしまう可能性です。国家の輪郭は、途方もなく巨大なものであったり、改良されつつあるものであったりしますが、いずれにせよ常に一時的なものに過ぎません。

国家の哲学も、国の倫理も、そして言うまでもなく国家の美学も、常に「昨日」です。それに対して、言語や文学は常に「今日」であり、それどころか、しばしばーー特に政治制度が正統的なものである場合にはーー「明日」にもなります。〜〜(後略)〜〜(『私人』より)

配布されたテクストはこの3倍以上ですが、この部分にブロッキーの言いたいことのエッセンスが強く表れています。言葉を使って表現する者にとって、とてつもなく大きな課題を突きつけられているようです。そしてまた、言論や表現の自由が明らかに制限されている今日にあって、このようなテクストを共有しておくことの意義は少なくないはずです。

後半の時間は連詩でした。受講者の皆さんのお名前をバラバラにして、アナグラムをつくってみようという試み。偶然できあがる言葉もあれば、やはり人となりが思わず出てしまうような言葉が出来上がってしまい、その瞬間つい笑いが出てしまうことも。面白いものです。

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受講者は14名でした。


その昔、ソシュールが言語の本質はアナグラムにある、などと言いました。それと関連して、無意識はアナグラムで構成されている、などという説も。ことの真偽はさておき、何か童心に帰ってつい夢中になってしまうのがアナグラムの不思議です。終了後、忘年会は深夜まで(!)。皆さま、おつかれさまでした!

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