昨日はスタジオ業務の合間を縫って、三鷹市芸術文化センターにお邪魔しました。ヴィオラ・ダ・ガンバの大家、ジョルディ・サヴァールのコンサートです。
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ヴィオラ・ダ・ガンバとはフランス語ではヴィオールと呼ばれますが、大雑把に言えばギターとチェロを足して2で割ったような楽器。4度チューニングで弦が6本(写真のサヴァール氏のヴィオールは7本)おまけにフレットのようなものがあってギターそっくり。けれど楽器を立てて弓で弾くのは、チェロそのもの。16〜18世紀に大活躍したそうですが、いまでは滅多にお目にかかれません。
この日の編成は他に、ギター(ビウエラとの持ち替え)、スペイン・バロックハープ、ヴィオローネ、パーカッションです。エスペリオンXXIという名のこの楽団、活動の中心はスペイン・バルセロナだそうで、10〜18世紀のレパートリーを主としている、とプロフィールには記載されています。でも、ちょっと待って。これ、ほとんどジャズとか、フラメンコとか、即興主体の音楽じゃないの? と聞く人は誰もが感じたはずです。
ギターやパーカッション奏者の前には譜面台がなく、他の奏者も譜めくりなどしていない様子。きっと紙切れ1枚程度の譜面なのだろうと思われます。そして彼らが共有しているリズムのテクスチュア、いわゆるノリは、フラメンコやアラブ音楽、中南米や南米の雰囲気も感じられる。これをいわゆる古楽と言ってしまっては何か言葉が足りず、最近あまり使われなくなった(かも?)ワールドミュージックとかモンドとか、そんな言い方をしてみたくもなります。
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会場で配布されていました
このコンサートのテーマは「フォリアとカナリオ」。あまり耳慣れない言葉ですが、要は16〜18世紀に流行ったダンス音楽とのこと。どうりでノリがいいこと、ダンサーがいつ舞台上に出て来てもおかしくない、そんな様子です。軽音楽という不思議な言葉がありますが、これはクラシック?古楽?軽音楽? そんなことを考えるのも馬鹿馬鹿しいくらい、演奏は端正でかつ躍動的、誰もが演奏に夢中になってしまいます。決して音量は大きくないのですが、曲によってはディオニュソス的狂乱、のような内容の演奏も。単純に痺れてしまいました。
さて、考え込んでしまいました。現代の日本の音楽のあり方について。もっと言えば「音楽教育」について。日本でほぼ覇権的と言っていいドイツ音楽の流れはどこからやってきたか?明治維新?山田耕筰?いま現在も音大のような教育機関では、相変わらずドイツものやイタリアものばかりが氾濫しているのはなぜ? ちょっと変わったところでフランスものや北欧・東欧の楽曲が扱われても、音大では間違ってもアフリカ音楽など教えてくれない。ウクレレもタブラもパンデイロも誰も触ったことがない、というくらいが現状でしょう。
そのような文化のひどい不均衡にあって、ジョルディ・サヴァール楽団が問いかけていることとは、近現代に対する大きなアンチテーゼのように思えてきます。古楽とはほとんどレッテルに過ぎないし、クラシックなど幻想に過ぎない。演奏家は楽譜の再生装置ではなく、演奏家もまた作曲家(=インプロヴァイザー)であるはず、と明確に教えてくれます。ヴァイオリンやチェロだけが楽器ではないし、音がでかければいいわけじゃないんだよ!とも言われているようです。
今日ふらっと立ち寄った公園で、野外イベントなのか、レゲエ・スカ楽団が演奏していました。ベーシストは半ば踊りながら低音を奏でてます。あの歌うようなベースラインもまた、フォリアやカナリオのオスティナート(固執反復)の影響なのかも、と考えるとちょっと面白い。誰とも知らぬ民衆の、農民の踊り=フォリア。300年、400年も前になる彼らの音楽がいまも生き生きとリアルに伝わってくることに、単純に驚きを禁じえません。ジョルディ・サヴァール、チェキラだね。
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